今この国に幾らでも転がってる話しだけど・・・

このブログを使う事ももう無いのかと思っていた。

ここ二ヶ月程悩んだが、書いてみる事にした。

 

今年の5月に両親に会った時、その小さな異変に気付いた。

親父の物忘れが妙に激しいのだ。

もしかして痴呆なのか?

そんな事を言ってもその時は母も弟も大して気にもしてなかった。

 

そして10月、母が体の不調を訴え、かかりつけの病院へ行った所

心筋梗塞の疑いがあるとの事で、紹介された市立病院へ。

速攻で入院が決まり治療が開始される。

ヘパリン・シグマートの投与で冠動脈の血栓を溶かした後、カテーテルによる

ステント挿入で血管を拡張すると言ものだ。

その際、精密検査でCTを撮った際、胃の入口に粘膜性腫瘍が発見される。

その時点では、ステントを優先して治療するという選択がなされていたのだが

血流が良くなったのが災いして、その腫瘍から出血が確認される。

急遽治療は腫瘍を含めた胃の全摘手術へと変更された。

オペは4時間に及び、摘出術は無事終了。

胃の入口に出来たその大きな瘤の中身はガン細胞だったが、胃壁に出来たものでは

無かったのが幸いして転移は無かった為、寧ろそれで済んで良かったと言えるだろう。

 

母はここ20年近くリウマチを患っており、その鎮痛薬としてプレドニンを長年

服用していた。

痛みは強力に収まるが副作用もあり体にとっては諸刃の剣ではある。

執刀医はそれが原因ではないかと言っていたが、オペ後の経過は当初順調に見えたが

5日後母が突然猛烈な腹痛を訴える。

原因は食道と小腸を縫い合わせた所にほころびが出来、その穴から内容物が漏れ

腹膜炎をおこし始めていると言うのだ。

開腹するまで詳細はわからないが、場合によっては命に関わる事態だと言う。

相当に痛い思いをし、順調に回復していた矢先、又開腹されると言われた母の

気持ちは察するに余りあるものだった。

緊急オペにより一命は取り留める。

執刀医の話では、組織が薬の長年の服用により脆くなっていたのではないか

と言う事なのだが、その辺の真実は今となっては闇の中である。

その後経口による栄養の摂取が出来ない時期が長く続き、母も相当しんどかった

様で、私も見舞いに行く度切ない思いをし続けたが、この度ようやく退院の目途が

立って来た。

しかし、その間に実はもっと深刻な問題が発生していたのだ。

 

両親は10年程前に長年やってきた商売を廃業した。

その際、同居を持ち掛けたのだが、頑として断られ二人で暮していたのだが、

今回母が入院し、親父が独りになってしまった訳だが、そうなって1月余りの間に

急速に痴呆が進んでしまったのだ。

11月の初旬、痴呆の進行具合を危惧した私の勧めで弟とケアマネ立ち合いの元

介護申請の認定員の方に来て頂き診てもらった所、夜な夜な徘徊している事が判明。

しかも無節操に生活費を必要も無い物を買って浪費してしまっていたのだ。

その時点で親父には必要最低限の所持金しか持たせない方がいいだろうという事で

弟がお金を預かり管理する事にした。

当然その時点では親父の了解の元でだ。

結局要介護との判断がなされ、正式な認定を待っていたのだが、そこは

お役所仕事すぐには事が進まず書類の発行を待っていた矢先、弟から連絡が入る。

親父の様子を見に行った後、自宅に帰って財布を見たら15万程足りないと言うのだ。

翌日私が親父にそれとなく聴いてみても、既に記憶自体が曖昧でさっぱり埒が明かない。

いい加減独りで置いておくのは不味いだろうと弟とも話したが、私の家では狭すぎて

居場所が無く、弟は一人暮らしで場所はあっても親父が一人で居る時間が長すぎる。

役所に後日連絡しようと言い、とりあえずは帰ったのだがその深夜のことだ。

交番から電話が来た。

親父を保護しているのですぐ引き取りに来てほしいと言う。

取りも直さず駆け付けると、どうやら俳諧している所を保護されたらしい。

しかも本人の弁では、私の家に火を点けに行く為にガソリンを買いに行ったが

断られ自殺しようと思うとか警官に話していたと言う。

あちらさんも、最近頓にこういう老人が多いらしく、万が一第三者に何らかの危害が

生じると私や弟に保護責任が発生し兼ねないので月曜になって病院に連れて行くまでは

監視した方がいいですよとアドバイスを貰う。

11月半ばの土曜の深夜の事だった。

それから二晩、寝ずの監視が続く。

月曜になり、かかりつけの医院へ電話、訳を話すとすぐ連れてこいとの返事。

行くと最優先で診て貰え、その場でこれは不味いとの判断で市立病院の精神科へ

すぐ診て貰える様手配をして頂いた。

連れて行き診てもらったが速攻で入院が決定する。

会社に事の経緯を説明し、月曜に続き火曜も休みを貰い入院に必要な物を揃え

届けに行く。

二日寝ずに親父を見ていた時にも感じた事だが、入院してから週一で見舞いに行く

のだが、その度に別人格の人と話している感覚におそわれる。

多重人格者ってこんななのかもなぁとも思った。

その後病棟内でも一度大暴れして、4日間程拘束衣を付けられた。

 

つい最近まで母の病状がしんどいものだったので、親父の一連の騒動は敢えて

話していなかったのだ。

余計な心配事を持たせたくなかったからだ。

しかし、母の退院も目前となってきて今度は母が独りになってしまう為

日々の生活も考慮してグループホームへの入居を勧める為にも、事の

真実を打ち明ける必要が出て来た。

先だって意を決して母に事の次第を打ち明ける。

母は自分に済まなかったと言い、全て自分の指示に従うと言ってくれた。

立て続けに自分の親に死刑宣告するみたいでずっと気が晴れない思いが続く。

今週の始め、病院から電話があり母が親父に会いたいと言っているが

いいだろうかと言う打診がある。

勿論了承した。

今日は何かと忙しく見舞いに行く事が出来なかったが、二人で何を

話したのだろう。

明日午前はホームの下見、午後から見舞いに行く。

コレが今年後半になって私の身におきた出来事です。

 

この心に鉛の塊がずっと乗っかった様な重苦しい感じ・・・

こんな思いをしている方が今日本にどれだけ沢山いる事か。

心中お察し致します。